4年前にパリ生活をまとめて置こうと書き始めた時のものです。
これ以降いろいろな形でFrom LOs Angeles with Love という
タイトルで掲載を今でも続けています。
1976年それまでロサンゼルを拠点に音楽の制作をしていた僕にレコード会社からパリからオファーが有ると連絡がある。僕がプロデュースをしていたアーティストをフランスでデビューさせないかという話しであった。今のアーティストが夢見ている様に出来ればアメリカのマーケットを狙ってみたいと考えていた僕にとっていい話しなのかどうかの迷いがあった。どこの国でも第一外国語は英語、そして第二外国語としてのフランスごの市を考えると失敗も怖くなかった。パリよりプロデューサーが来日、僕と二人でプロデュースをする事で合意、パーティーを開く。来日していたアダモなどを招待してパーティーを行う。
そこには日本のシャンソン関係者が多く集まり、シャンソンについて熱く語られた。まだ20代の僕はロンゲ、ひげ、Tシャツそしてジーパンスニーカーと典型的なウエストコースと少年気取りであった。
しかし、一方フランス派はスーツにネクタイそれもランバンやカルダンという格好であった。
アダモに関してもフランスの森進一と解釈していたくらいだ。それから数ヶ月の準備を重ねたころ、11月初旬大韓航空の北回りでパリへと出発する。7ヶ月の旅である。成田からソウルの金浦空港そこで6時間ほど機材の準備で待ち。当時の金浦空港では狭いガラス張りの部屋にトランジットは閉じ込められ6時間。飲み物は水のみ、売店すら無く長い時間をいすで過ごす居心地の悪さだ。そして日本の上空を南から北に突抜けて、オホーツク海、ベーリング海峡を抜けアンカレッジに到着。此の頃のヨーロッパ便は此の北回りと南回り中国、インド洋、中東を抜けパリへ行くものだけであった。南回りは28時間くらいの時間を有した。
アンカレッジでは今は懐かしいアラスカうどんとホットドッグ、大きなシロクマの剥製が出迎えてくれた。気温はマイナス35度だ。
ここでも90分くらい給油の為にロビーで待つ訳だ。そしていよいよパリへと向かう。
最近のアンカレッジ空港のシロクマ

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